トーキー


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トーキー
トーキーtalkie)は映像と音声が同期した映画のこと。talkie という語は talking picture から出たもので、moving picture を movie と呼んだのにならったものである。サイレント映画(無声映画)の対義語として「トーキー映画」と呼ばれることもあるが冗語である。無声映画の対義語としては「発声映画」と呼ばれた。音声が同期した映画が一般的な現在では、あえて「トーキー」と呼ぶことはない。発声映画が最初に上映されたのは1900年パリでのことだったが、商業的に成り立つにはさらに10年以上を要した。当初は映画フィルムとは別にレコード盤に録音したものを使っていたため同期が難しく、しかも録音再生の音質も不十分だった。サウンドカメラ発明によって同期が簡単になり、1923年4月にニューヨークで世界で初めてその技術を使った短編映画が一般上映された。

発声映画の商業化への第1歩はアメリカ合衆国1920年代後半に始まった。トーキーという名称はこのころに生まれた。当初は短編映画ばかりで、長編映画には音楽や効果音だけをつけていた(しゃべらないので「トーキー」ではない)。世界初の長編トーキーは、1927年10月公開のアメリカ映画ジャズ・シンガー』(ワーナー・ブラザーズ製作・配給)であり、ヴァイタフォン方式だった。これは、前述のレコード盤に録音したものを使う方式で、その後はサウンド・オン・フィルム方式(サウンドトラック方式)がトーキーの主流となった。翌1928年に、サウンドトラック方式を採用した『蒸気船ウィリー』が公開される。『蒸気船ウィリー』は短編ながら、初のサウンドトラック方式による映画であると共に、トーキーとして初めてのアニメーション映画でもある。

1930年代に入るとトーキーは世界的に大人気となった。アメリカ合衆国ではハリウッドが映画文化と映画産業の一大中心地となることにトーキーが一役買った(アメリカ合衆国の映画参照)。ヨーロッパや他の地域では無声映画の芸術性がトーキーになると失われると考える映画製作者や評論家が多く、当初はかなり懐疑的だった。日本映画では1931年昭和6年)の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー作品である。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかった。インドの映画はトーキーの到来によって急速に成長し、1960年代以降は世界一の映画製作数を誇るようになった。


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